お早よう茣蓙居ます.今週は『お彼岸』
で茣蓙居ます
消え去ろうとしている
『鎌ケ谷市粟野集落』の
探訪も真っ最中で
あっちこっちと歩き廻って居ります
本日は其の十九回目を迎えました
で茣蓙居ます
明日の日曜日には
愚輩ブログをLoveLogで開設以来
連続更新700日目を
迎えますで茣蓙居ます
表題の坊やも「会いたか」と申して居ります
スーパースマイリーはウィンクをして居ります
では明日もお逢いいたしましょう
で茣蓙居ます
消え去ろうとしている
『鎌ケ谷市粟野集落』の
探訪も真っ最中で
あっちこっちと歩き廻って居ります
本日は其の十九回目を迎えました
で茣蓙居ます
明日の日曜日には
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迎えますで茣蓙居ます
表題の坊やも「会いたか」と申して居ります
スーパースマイリーはウィンクをして居ります
では明日もお逢いいたしましょう

りました.ご承知措きください.
写真などの映像にマウスを乗せますと,解説文的な
ものが表示されます.
従いまして,写真の説明は省いて居ります.ご諒承
の程お願いいたします.







いよいよ明日ですね。
明日も一番乗りでお祝いしたいと思います。
お早よう茣蓙居ます.
あんやぁー,であります.
この鬼瓦について書き込み戴けるかと思い,敢えて699日目に載せたんでありますが????
はい,明日は胡蝶尼賛と愚輩をブロブにのめり込ませたオスカー野郎殿とどちらが一番乗りになりますか? 楽しみにいたして居ります.
では,明日を宜しくお願い申しあげます.
でも予想に反して風は冷たく、肌寒いです。
午後から所用があり横濱に参ります。
帰りが遅くなって日付が変わるころなら、そのまま寝ないで明日のコメント一番乗りします。
しかし、早く帰って爆睡してしまったら、明朝まで目が覚めないかも知れません。
千葉の県花は、これなんですか。勉強になりました。てっきり落花生かと(´,_ゝ`)プッ
わたしごとでありますが、小学校6年間、皆勤でありました、無遅刻、早退も無し。さらに高校の三年間もそうでありました。惜しむらくは中学一年で盲腸を手術し一週間休まざるを得ず、12年間皆勤の記録は途絶えました、これぞやんぬるかな、であります。
ここにお邪魔しておりますと、瓦への親近感が強まります、プロの紋狗氏におこがましい、と戒めておりますが、瓦はこのわたしの仕事の重要材であります。
一つだけ知ったかぶりをお許し頂き…
瓦の語源であります、きっと釈迦に説法です。
サンスクリット語の「カハラ」の転化
カメの甲羅の呼び名「かふら」の転化
甲冑の古名、「かはら」の転化…の3通りがあります。
どれが、紋狗氏にピタリと収まりましょうか。
こんにちはで茣蓙居ます.
貴公のブログからであります.
そういえば,あたしも『角筈』の地名を聞くのは久方振りで茣蓙居ますよ.
どんどん地名も近代化されておりますですよ.
新宿区にはまだ山吹町とか早稲田大學周辺の小さな地名は残って居るんですかねぇ.十年程前の東京の地図を見ますと,まだ古い地名になって居りますが・・・・
フジテレビがありましたところが確か河田町と申した筈ですよ.
今の新宿警察署のかって名前は淀橋警察署で茣蓙居ます.
ところで,オスカー野郎殿は淀橋浄水場をご存知でありますか.あの辺りに都庁がある筈であります.記憶は遠くなりつつあります.
因みにその昔,淀橋区があったとか・・・・・
では,明日のお越しをお持ちいたして居ります.
こんにちはで茣蓙居ます.
あたくし奴は瓦の歴史なんぞは知らないんで茣蓙居ますですよ.
鬼瓦に惹かれましたのは,この地の鬼瓦には苗字や家紋が刻まれているのを目にしたからであります.瓦から農家の母屋,納屋と目移りして行った訳であります.
少々長くなりますが下記の文章をお読みください.
この質問とは愚輩したものであります.
近隣の市にお住いの物知りなお方のブログからです.
横着をお許しくださいな.長くなりますんで4回に分けてコピーしました.
由香
昨日は、苗字の質問にお答えしました。今日は、鬼瓦のことですが、長い話になるということで、爺さんに直接答えていただきます。質問は、以下のようでした。
「 旧家の鬼瓦には家紋や苗字を刻印しておりますが、これは何故ですか? ご存知でしたらお教えください。お願いいたします。 」
爺
質問者は、北総の鬼瓦の写真を収集しておられるようで、たいへん良いことじゃ。ここから進んで、普通の瓦にも興味を持っていただきたいもんじゃね。質問の答えだけなら、そんなに長くなる話じゃないが、この地域で瓦が使われたのは、いつの時代からなのか、その瓦に家紋や苗字が入るようになったのはいつ頃なのかという形で、お答えしようと思っておる。
由香ちゃん、日本で瓦はいつ頃から使われていると思う。
由香
奈良時代のお寺を発掘すると、瓦が出てくる話は、よく新聞に出ていると思います。鬼瓦の破片も出てるんじゃないかしら。
爺
そうだね。瓦は古代から使われているが、庶民が使うようになったのは、いつからだと思う。
由香
わかりません。
爺
江戸時代の中頃に、さんがわらが開発されてからなんじゃ。
由香
さんがわらってどんな瓦ですか。
爺
昔の寺院の瓦は、丸い瓦と平らな瓦を交互に屋根に置いていたが、丸と平らをくっつけて、S字型の瓦にしたのが桟瓦で、屋根に桟を付けて、そこに引っ掛けると、落っこちないようになっている。隣の瓦に乗っかる、曲がった部分を桟というらしい。
由香
桟瓦が開発されて、武士や庶民の家にも瓦が使われるようになったんですね。
爺
江戸時代は、身分制が厳しかったので、武士以外は瓦の使用は禁止されていた。例外は、火事の延焼防止のため江戸市中の町屋や街道沿いの町屋では、瓦の使用が認められていた。
由香
関西にも、瓦屋根の家があるって言ってませんでした。
爺
幕府の力も、関西には及ばなかったようで、江戸時代の瓦屋根の民家がたくさん残っている。大名貸しといって、大名にも金を貸している町人がたくさんいたので、堂々と幕府の禁制を破っている民家がたくさんあったんじゃ。
由香
そうすると、関東地方では、江戸市中や街道沿いの一部を除き、江戸時代の瓦屋根の民家は、ないということですか。
爺
ないはずだ。もしあれば、重要文化財になるだろうね。
由香
江戸時代はどこで瓦を作っていたんでしょう。
爺
関東地方では埼玉県の深谷市の深谷瓦が有名だ。瓦は重いので、遠くから運ぶのは困難だが、深谷からなら、船に乗せて、川を下れば江戸へ行くので、便利だったんじゃろう。それと、浅草でも今戸焼といって、瓦をはじめ粘土製品を作っていたという記録がある。
由香
質問に戻りますが、家紋や苗字はどうですか。
爺
江戸時代の武士の家などでは、瓦に家紋を入れるのは、ごく普通のことだった。寺の瓦でも、いろんな模様が入っていて、鬼瓦に限らず、瓦のデザインのひとつに過ぎないと思っていいんじゃないかな。
由香
このあたりで、庶民が瓦屋根の家を建てることができたのは、明治以降ということになりますね。
爺
そうなるが、瓦は手作業でしか作れなかったし、重くて運搬が困難なので、たいへん高価なものだった。だから明治になってもこのあたりで、すぐに瓦屋根の家が建ったわけじゃない。近くで瓦やさんができてからじゃよ。
由香
いつ頃から、このあたりで瓦が生産されるようになったんでしょうか。
爺
それがよくわからないんだ。一説によると、瓦で有名な愛知県の三州瓦の職人が、明治になって、居住移転が自由になったんで、良い粘土を求めて全国に散らばっていった。そして、関東地方で良い粘土を見つけた職人が、そこに定住し、瓦の生産を始めたんだろうと言われている。
由香
このあたりでは、どこで定住したんでしょう。
爺
わからない。諸説がある。
由香
習志野市内で最も古い瓦は明治何年のものなんでしょうか。
爺
幕末の江戸では、瓦に家紋や模様を入れるのが普通になっていた。しかし、庶民は、身分制度を思い出させるのか、模様を入れた瓦は、使おうとしなかったんだ。明治中期になって、全く模様を入れない無地瓦が製作され、これが庶民に受け入れられて、広がった。
習志野市内では、国登録有形文化財の廣瀬家の、明治24年(1891)の甘藷蔵の瓦が、無地瓦だ。平成16年にこの蔵の瓦が新しいものと取替えられたが、たぶん市内では現存する最古の瓦と思われるので、すべて保存されているよ。
由香
無地瓦は、今の瓦と違いがあるんですか。
爺
どこの家でもいいが、軒先の瓦を見てごらん。丸い部分があるだろう。その丸いところを良く見ると、どこも凸レンズのようにふくらんでいる。ところが、無地瓦は、スパッと切り落としたように、平らなんだ。だから、古い建物で、丸い部分がスパッと切り落としたようになった建物を見つけたら、明治末までの建物と考えていいよ。たぶん、大正時代くらいからは、丸い部分はどこも、凸レンズ状になっている。無地瓦は、船橋の古い家に、今でも見られるところがあるよ。
由香
ほかにも違いはあるんですか。
爺
切り落としの面取りの厚さ、かぶりの深さ、カーブのゆるやかさ、にも違いがあるが、外見からわかるのは、ふくらんでいるかどうかだけだね。
廣瀬家の甘藷蔵は、棟札から明治24年の建築であることがはっきりしている。そして、明治中期から無地瓦が庶民に使われるようになったと、文献に書かれているので、この瓦が、この地方で庶民の建物で使われた、最も初期の瓦ではないだろうかね。他に、新発見があることを期待しているが。
由香
その建物には、習志野市域最古の鬼瓦がついていなかったんですか。
爺
ついていた。現在は取り外されて、保存されている。何か模様が入っていたような痕跡があるが、はがれてしまっていて、不明なんだ。この鬼瓦は3つのパーツに分かれている珍しいもので、3つを結び付けている、銅の針金も100年以上たった今も、ほとんど変化なく3つを結合しているから不思議だね。昔のものは品質がいいんだね。
由香
無地瓦から、苗字や家紋が入った瓦になったのは、いつ頃でしょうか。
爺
江戸時代の記憶が薄れていった、明治の末期頃だろうね。質問者の疑問の返答としては、幕末に一般化していた、瓦に家紋や模様を入れる習慣が、無地瓦で途切れ、明治の末期から大正時代になって、庶民の家の瓦や鬼瓦にも復活してきたんです、というところでしょうか。
由香
長いお答えで、お疲れ様でした。何か付け加えることはありませんか。
爺
昔の鬼瓦は、本当にこわい顔をしていた。しかし、人々が密集するようになると、窓をあけると、こわい鬼瓦が目に入ったんでは、気分が悪いし、子供が怖がる。そんなところから家紋や苗字、屋号などになっていった、という説も有力です。
それから、瓦は本来、中国から伝来した仏教寺院に使われていたもので、日本独自の神社には、使われる伝統はなかったということも、付け加えておこうかな。
これで終わりで茣蓙居ます.
長い間お疲れ樣でした.
では明日のお越しをお持ちいたして居ります.
今日は良い天気でしたね・・明日はどうかな?
鬼瓦、圧巻です・・驚きました。なにか鎮座してるような
また、明日きます。
こんばんはで茣蓙居ます.
そうですよ,トリミングして居りますが凄い鬼瓦で茣蓙居ますですよ.
これが門の鬼瓦ですから驚きでありますよ.
一昨日(二十日)と昨日(二十一日)の上に鎮座して居るんですよ.
はい,明日のお越しをお待ちいたして居ります.
何時に予約されたのか分かりませんが、もう寝ます。
間違いない大記録700回にただただ心服いたします。
お早よう茣蓙居ます.
はい,このSeesaaのブログは面妖であります.
午前零時に開頁になるように設定してあるんで茣蓙居ますが,いつも開かれる時間は一時過ぎのようです.
お天道樣が顔を出しましたらまたお越しください.
お持ちいたして居ります・・・・・
因みに一番乗りは貴公も知っている人であります.
では,またあたくし奴も眠ります.